西尾忠永

酒井重忠の3男。1584年(天正12)三河国西尾の生まれ。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いに従う。その後、西尾吉次の娘を娶っていることから、吉次の養子となる。吉次の養子として利氏・吉定がいたが、西尾家を継いだのは忠永であった。大坂の両陣にも従った。1620年(元和6)1月14日没。37才。法名「月海岫雲清光院」。 下の高野山の墓は、手前が西尾吉次、横の小さいのが西尾忠永の墓である。

墓所

1.和歌山県伊都郡高野町高野山の高野山奥の院

2.埼玉県上尾市原市の妙厳寺

3.静岡県掛川市西大渕の龍眼寺