近藤秀用

石見守康用の長男。父と同じく家康に仕える。姉川の戦い・三方原の戦いなどに歴戦。長久手の戦いのときは、井伊直政に属す。以後、小田原合戦や九戸の乱等も直政のもとに属して戦った。一旦は、直政のもとを去り寓居するも再び秀忠に召しだされ采地5000石を賜る。後、加増され相模にて10000石。大坂の陣にも出陣する。家康6男松平忠輝の身を伊勢朝熊に移されるとき、その警備を秀忠より命じられる。1631年(寛永8)2月6日没。85才。法名「常光院殿法誉清閑居士」。

墓所

1.静岡県浜松市北区引佐町奥山の方広寺

2.東京都文京区湯島の称仰院