松平勝政

水野忠分の5男。松平源三郎勝俊(浜松の西来院に墓)の死後、その娘を娶り跡を継ぐ。勝俊が亡くなったのが1586年(天正14)にて、勝政14才。勝俊の娘と婚礼を行ったのが1601年(慶長6)であることからその間は婚約中だったと思われる。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いや1614年(慶長19)・1615年(元和元)の大坂の陣にも従う。1633年(寛永10)駿府の城番となり、1635年(寛永12)6月10日没。63才。法名「道罷」。東京都豊島区巣鴨の白泉寺の写真は、中央の宝篋印塔が勝政の墓で、横の五輪塔は孫の松平勝則の墓。

墓所

1.静岡県静岡市葵区慈悲尾の増善寺

2.東京都豊島区巣鴨の白泉寺