青山長利

忠教の子。新八郎、虎ノ助。家康の祖父清康から代々仕える。1530年(享禄3)熊谷直利の籠る宇利城攻めのときに首級を得る。この時、長利の指物に虎の字があり、そこから虎ノ助を名乗るよう仰せがあり、子孫代々襲名とした。三河一向一揆のときは家康に味方。1564年(永禄7)1月25日、上宮寺に忍び込み放火しようとしたが果たせず、討死した。法名「覚誉了山居士」。

墓所

1.愛知県某所