鷲山伝八郎

高天神城の小笠原長忠に属していたが、1574年(天正2)長忠が武田勝頼に降ったときは、長忠のもとを離れ徳川家に戻った。その後、大須賀康高の配下となり1575年(天正3)の長篠の戦いに参戦。1581年(天正9)の高天神攻めのときも活躍した。1581年(天正9)11月16日没。法名「亀應常鑑居士」。

墓所

1.静岡県菊川市東横地の興嶽寺