源応尼

青木加賀守の娘。大河内左衛門尉元綱に養われた。「源応尼」は、尼になってからの呼び名にて、それ以前は、お富・お留と名乗っていた。水野忠政に嫁ぎ、3男1女を産んだ。その1女が家康の母、お大の方である。美貌ゆえ、松平清康(家康祖父)がお富を望み、妻とする。清康のもとでも、1男1女を儲ける。清康が1535年(天文4)家臣に殺害されたのちは、星野備中守秋国の妻となる。秋国の死後、菅沼藤十郎定望の妻となる。定望の死後は、川口久助盛祐に嫁ぐ。生涯通して、5人の夫を持ったことになる。今川家の人質となっていた家康を教育もした。1560年(永禄3)5月6日没。70過ぎとされる。法名「華陽院殿玉桂慈仙大禅尼」。

墓所

1.静岡県静岡市葵区鷹匠の華陽院