矢野五右衛門

矢野五右衛門重昌は前田家の家臣とも、白樫(岐阜県揖斐郡揖斐川町白樫)の土豪とも、伝えられるが詳細はわからない。1600年(慶長5)関ヶ原の合戦後、西軍の落ち武者狩りに出かけた。そのとき、西軍の宇喜多秀家を見つけた。五右衛門重昌は、秀家を討取ったり捕らえたりすることもせず、かえって秀家を助けることにした。秀家を匿ったことがわかったら、当然死罪。しかし、自分の屋敷に40日以上も匿うことに成功。秀家はこの後、大坂を経由して薩摩に逃れた。のち秀家は、死罪を免れ、八丈島に流されることになった。矢野五右衛門重昌のとった行動は、罪となるところか、かえって恩賞を貰ったという。1617年(慶長12)5月27日没。法名「桂林院月林繁居士」。

墓所

1.岐阜県某所