高橋元種

漢の劉邦の子孫にて、筑前(福岡県)の武将秋月種実の次男。生年は、1571年(元亀2)ともいうが諸説ある。父種実と高橋鑑種は、反大友宗麟として戦った関係もあり、次男の元種を鑑種の養子とする。高橋家を継いだ元種は実家の秋月家と協力して島津氏と組み、大友氏に対抗する。しかし大友氏を助ける秀吉軍が来襲すると、抵抗するも降伏。島津氏が秀吉に降伏して、九州全土が秀吉の傘下となると、元種は日向(宮崎県)にて5万3000石を与えられた。2度の朝鮮出兵にも従軍した。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いでは、兄秋月種長とともに西軍に属した。主戦場には居らず大垣城に籠もっていた。しかし西軍が負けると抗戦派の熊谷直盛・垣見一直らを討ち、東軍に恭順。兄とともに所領安堵された。しかし、1613年(慶長18)坂崎出羽守事件の犯人隠匿により所領を没収。以前は九州で敵同士であった棚倉(福島県)の立花宗茂のもとに配流された。1614年(慶長19)10月9日に棚倉で没したとされている。元種の終焉の地としては、浜松・宮城・愛媛などにもある。棚倉での死亡説は、通説だが可能性は薄い。

墓所

1.宮城県大崎市鳴子温泉鬼首字岩入

2.福島県東白川郡棚倉町流豊都の常隆寺

3.香川県某所

4.静岡県某所