朝倉宣正

越前朝倉氏とは姻戚関係。周景の子にて柿島朝倉家の3代。1573年(天正元)生まれ。1590年(天正18)小田原合戦ころに秀忠に付属させられた。1600年(慶長5)信州上田城攻めに功があり、小野忠明や中山照守らとともに「上田の七本槍」と称された。大坂の陣のときには、江戸にて留守居役。その後も順調に出世していき、家康より御書と紋付の団扇を拝領されている。1621年(元和7)には加増により1万石の大名になる。このころ徳川忠長に付けられ家老となる。忠長が3代将軍家光により領地を取り上げられると、宣正も罪を被り大和国郡山に蟄居する。1637年(寛永14)2月6日没。65才。法名「興禅院殿大雄玄英大居士」。

墓所

1.静岡県某所

2.静岡県某所