板倉定重

好重の2男にて、父討死ののち家督を継ぐ。喜蔵。1581年(天正9)3月22日、高天神攻めのときに家康家臣松平家忠に属して戦うも討死。28才。法名「知白」。弟に有名な京都所司代板倉伊賀守勝重がいる。寛政重修諸家譜では、勝重が2男・定重が3男となっているが間違い。静岡県の高天神城にある円柱状の2基は、向かって左が板倉喜蔵定重の墓で右が岡部丹波守長教の討死碑である。愛知県西尾市貝吹町の長円寺は、同寺訪問したときに偶然発見。小さいが、板倉勝重の廟の横にある。

墓所

1.愛知県西尾市貝吹町の長円寺

2.静岡県掛川市上土方嶺向の高天神城跡