安部元真

諏訪信真の子。今川義元・氏真に仕える。今川氏真が衰えてくると、武田信玄より裏切りの誘いがあるもこれを断る。そのため信玄の策略により、領地内にて一揆が発生。家臣45人が討死した。元真は妻子とともに浜松の家康のもとを頼った。そして家康の援助のもと、一揆を破る。領地安倍谷には一族家臣を置き、元真自身は浜松の家康のもとに仕える。1575年(天正3)諏訪原城攻めに、金堀の者を使って城中に侵入して敵を打ち破り、家康より感状を受けた。その後もたびたび息子信勝とともに戦功を挙げた。1577年(天正5)10月15日没。1587年(天正15)10月10日他、1582年(天正10)死亡説もある。法名「龍泉院殿心清常安大居士」。下の写真、父諏訪信真の五輪塔の横の柱状碑が安倍元真の墓。埼玉県深谷市岡部の源勝院には安倍大蔵元真の功績を称える碑があり、指定史跡となっている。

墓所

1.静岡県静岡市葵区井川の龍泉院