金丸久次

金丸虎嗣の3男忠経に長男忠次、その忠次の長男が四郎兵衛久次である。忠経の兄虎義の子に有名な「土屋昌次」がいる。父の忠次は武田信玄・勝頼につかえ、長篠で討死。久次は、勝頼につかえ、武田家滅亡後に家康につかえた。徳川四天王の井伊直政に付属させられ、長久手では首2つをあげる手柄をたてた。1627年(寛永4)2月5日没。法名「泰恂院徳翁常賀居士」。信松院の墓は、久次を初代とする代々の法名と没年が刻まれている。

墓所

1.東京都八王子市台町の信松院