正木頼忠

時忠の5男。家康側室養珠院お万の義父。人質として、小田原の北条氏のもとにいたが、1575年(天正3)勝浦城に帰り正木家を継ぐ。1590年(天正18)北条氏滅亡後、勝浦城は家康の領地となったため、安房国に帰る。そのときに剃髪して、観齋と名乗る。1612年(慶長17)駿府の家康に拝謁。家康に奉仕することも出来たが、里見家に仕える。里見家没落後は、息子三浦為春のもとに寄食。為春が紀伊(和歌山県)に赴くとそれに付き添い、1622年(元和8)8月19日没した。千葉県南房総市和田町中三原の正文寺①は寺院内にあり、同②は少し離れた(徒歩7~8分)山中にある。

墓所

1.千葉県南房総市加茂の日運寺

2.千葉県南房総市和田町中三原の正文寺①

3.千葉県南房総市和田町中三原の正文寺②

4.千葉県鴨川市小湊の誕生寺

5.東京都杉並区永福の理性寺

6.和歌山県和歌山市坂田の了法寺

7.静岡県三島市玉沢の妙法華寺