渥美源五郎

名は勝吉。三河の生まれにて家康の家臣。13才に初陣、姉川・三方原・長篠の戦いに従う。長篠の戦いのとき19才で初めて首級をあげた。この後、高天神・小牧・長久手などの戦いで首級をあげた。1599年(慶長4)黒田・藤堂・浅野・有馬のまえで家康より、「此者首取源五郎にて候間、各よく見知り給べし、軍(いくさ)のところごとに一度も首を得ずと言事なし、希代の猟利也」と披露された。関ヶ原の戦いにも従い、その功績により兜などを授かる。大坂の陣のときは、病のため参戦できなかった。1616年(元和2)9月2日没。60才。6月6日に亡くなったともいわれる。法名「長盛院殿漏善叟無大禅定門」。

墓所

1.静岡県御前崎市佐倉

2.静岡県掛川市上土方嶺向

3.静岡県磐田市中泉の泉蔵寺