久野宗成

1582年(天正10)生まれ。宗朝の子。家康家臣。宗朝が刃傷を起こし改易となったため、本多忠勝に養われる。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いに参陣。祖父宗能の死後、その後を継ぎ、遠江の久能城主となる。家康の10男頼宣が駿府城主になると、頼宣付きとなる。頼宣が紀伊に転封に従い、田丸(三重県)にて1万石を与えられた。1625年(寛永2)12月29日没。法名「報土院殿万譽高天禅定門」。

墓所

三重県三重県度会郡玉城町田丸の大得寺