本間秀年

季近ともいう。兵衛五郎長季の次男。北条氏直に仕えていたが、1590年(天正19)北条氏滅亡後は、家康に仕えた。父や兄の政季が家康に仕えていたのでその縁故を頼ったのであろう。400石を知行していた。関ヶ原の戦いや大坂の陣にも供奉した。1616(元和2)命により家康の子頼宣に付属させられた。1618年(元和4)3月7日没。62才。法名「桃庵宗見居士」。下の龍雲寺の写真、向かって左の大きいほうが秀年の墓で、法名と没年が刻まれている。通常、この2つは右が寿桂尼(今川氏輝室)、左がその妹の墓とされていて、市の指定史跡になっている。しかし2基とも本間氏の墓であることは間違く、現在、寿桂尼の墓とされている右の墓は、父(長季)・兄(政季)・兄の子(範安)・秀年の子(可近)の4人のうちの誰かの墓である。

墓所

1.静岡県静岡市葵区沓谷の龍雲寺