日遠

1572年(元亀3)京都にて生まれる。日蓮宗の僧。6才にて日重の弟子となる。33才のときに日乾のあとを継いで身延山22世となる。家康の側室養珠院お万の方の帰依を受けた。1608年(慶長13)日蓮宗の日経と浄土宗の郭山との対論が江戸城で行われた。この対論で日経は負けとされ、家康から全国の日蓮宗諸寺に念仏無間の文証なきことの誓状を出すように命じられた。しかしこれを拒否した日経は京都六条河原において耳と鼻を削がれる酷刑を受けた。同じ宗派の日遠は家康に抗議し、浄土宗との再対論を求めた。しかしこれが家康の怒りにふれ、駿河安倍川で磔刑とされそうになる。これを助けたのが、家康側室お万の方であった。 1642年(寛永19)3月5日没。

墓所

1.東京都某所

2.東京都某所

3.山梨県南巨摩郡身延町大野の本遠寺

4.静岡県静岡市葵区駒形通の感應寺