海野元重

弥兵衛元定(本定とも)の子。父と同じく家康に仕える。7ヶ村の支配を認められ、金山の御用、御茶壷詰の御用などを勤めた。家康の死後は、家康の子頼宣に仕えた。1665年(寛文5)没。静岡市葵区井川の龍泉院の墓石に法名「見壽院殿松山玄鷹居士」と没年月日の「寛文五乙巳年林鐘念一日」が刻まれている。林鐘とは陰暦の6月のことをいうので没年月日は6月1日であろう。父の元定もこの龍泉院に葬られたが墓石を特定することが出来なかった。

墓所

1.静岡県静岡市葵区井川の龍泉院