鳥居吉清

吉則の子。彌平治(次)。代々三河の松平家に仕える。吉清も徳川家康の父松平広忠に仕えた。広忠没後は家康に仕えた。三方原の戦い、長篠の戦い、高天神城攻めに従う。寛政重修諸家譜では法名を「道圓」、某年死す、とある。しかし墓石の側面より、1592年(文禄元)3月8日没、享年84才、法名「大慈院善正道圓居士」であることがわかる。家康股肱の臣である鳥居元忠とは一族にあたる。

墓所

1.某所