近藤用義

秀用の4男。慶長年間に家康に拝謁。大坂の両陣に父と共に出陣。夏の陣では首2つを取る。父が小田原城番に任じられるとその職務を手伝うも、1626年(寛永3)10月13日小田原にて死す。31才。法名「香林院殿當寺開基松岩浄鉄居士」。用義は小田原の早雲寺に葬られた、と寛政重修諸家譜にあるがそこでは見つけることができなかった。

墓所

1.静岡県浜松市北区引佐町奥山の方向寺

2.静岡県某所