牧野成定

氏成の子で貞成の養子。1525年(大永5)三河宝飯郡牛久保の生まれ。今川義元・氏真に仕える。東三河に侵攻してきた家康に最後まで敵対してい5月岡崎城で家康と謁見、所領を安堵された。1566年(永禄9)10月23日没。たが、1565年(永禄8)酒井忠次・石川家成を通じて、家康に属した。1566年(永禄9)法名「養修院殿教誉皎月光輝大居士」。大恩寺の墓石側面に没年「永禄9年10月23日」とあり、もう片方の側面には「牧野民部烝康成公」とあるが、「康成」は誤記で「成定」である。

墓所

1.愛知県豊川市千歳通4丁目

2.愛知県豊川市御津町広石御津山の大恩寺