北条氏政

氏康の長男にて、小田原北条氏第4代目当主。1538年(天文7)生まれ。秀吉の上洛命令を無視したため、1590年(天正18)合戦となるも圧倒的な大軍の前に屈する。秀吉を成り上がり者と侮っていたこと、過去に上杉謙信や武田信玄でさえ小田原城を囲むも落とすことが出来なかったこと、などの要因にて合戦に際しては、主戦論者であった。そのため、降伏後は弟氏照と共に切腹させられた。1590年(天正18)7月11日、場所は城下の医者田村氏宅にて自害。弟氏規が介錯した。

墓所

1.静岡県某所

2.静岡県富士市蓼原の源立寺

3.神奈川県小田原市栄町 (2つ有)

4.神奈川県下足柄郡箱根町湯本の早雲寺