井伊直親

直満の子。父は、井伊家当主直盛の家臣小野和泉の讒言により今川義元により殺害された。直親は、家臣今村藤七郎の庇護のもと一時信州に逃れる。小野和泉が死んだのち、赦されて直盛のもとに帰る。1560年(永禄3)桶狭間にて、井伊家当主直盛が義元とともに討死すると、井伊家第16代当主となる。1562年(永禄5)家臣小野但馬の讒言により今川氏真から疑いをかけられ、駿府に異心なき旨を伝えにいく途中、掛川にて殺害された。12月14日のことにて、享年27才。法名「大藤寺院剣峯宗惠大居士」。家康及び信長に志を通じ、陰謀を企てた疑いだという。子の直政は後に徳川四天王の1人となる。

墓所

1.静岡県浜松市北区引佐町渋川

2.静岡県浜松市北区細江町中川

3.静岡県浜松市北区引佐町渋川の東光院

4.静岡県浜松市北区引佐町井伊谷の龍潭寺