松田康長

1537年(天文6)生まれ。康定の子。北条氏の家臣。北条氏の重臣松田憲秀の甥。豊臣秀吉による小田原合戦のときには、山中城の主将として派遣された。4000人の守備兵に対して、攻撃側の豊臣・徳川の70000人を迎え討つも、1590年(天正18)3月29日城は半日で落城。城主の康長は北条氏勝を城外に脱出させたのち、討死した。54才。法名「山中院殿松屋玄竹大居士」。

墓所

1.静岡県三島市山中新田の宗閑寺