井伊直虎

直虎は、直盛の娘。次郎法師と呼ばれることもある。女性ながら井伊家の当主となったため男性のような名前となった。父直盛は今川義元に従って桶狭間で討死、次の当主直親(直虎の婚約者でもあった)は家臣の讒言により今川氏真によって殺され、更に曽祖父の直平まで亡くなり、直虎が当主に就くころの井伊家は衰退の一途を辿っていた。しかし、家康が遠江に進出してからはそれに従い、旧領を回復。一番の功績は、直親の遺児直政を家康に仕えさせたことである。直政は後に家康の四天王と呼ばれるまでに出世することとなる。1582年(天正10)8月26日没。法名「妙雲院殿月泉祐圓大姉」。

墓所

1.静岡県浜松市北区引佐町井伊谷の龍潭寺