成瀬正武

正一の3男。犬山城主となった隼人正正成の弟。1585年(天正13)生まれ。家康の3男秀忠に幼い時より仕え、5000石を知行。駿府の家康のもとに江戸の秀忠の使いとして、たびたび訪問。1615年(元和元)の大坂夏の陣のときには秀忠に従い、首2つを取る。理由は定かではないが、家康の没後の1616年(元和2)11月27日吉祥寺にて切腹。法名「鐵性院殿功山宗忠居士」。切腹させられた理由として、小山吉久と衆道との関係があったから、とされているも、他説多く有り謎である。正武の側室に飫肥(宮崎県日南市)の領主伊東祐兵の次女於仙、正武の兄正成が犬山城主(愛知県犬山市)であることから、その縁にて犬山市と日南市は姉妹都市となっている。

墓所

1.東京都文京区本駒込の吉祥寺

2.静岡県伊東市富戸の蓮着寺