市川助右エ門

この人物の詳細はわからないが、家康の家臣大久保長安の死後に土肥金山奉行となっていることから、家康から信頼されていた人物と思われる。下の写真、手前が助右エ門の墓で、奥が妻の墓である。同じ土肥地内の光源寺が助右エ門の菩提寺で、そこには墓はないものの夫妻の位牌が安置されている。それによると助右エ門の没年は1620年(元和6)11月11日、法名は「應譽窓感禅定門」とある。ちなみに妻のほうの没年は1617(元和3)6月11日、法名は「諦譽深誓禅定尼」である。

墓所

1.静岡県伊豆市土肥