河毛重次

重次は中村一氏(秀吉の臣)の家臣にて興国寺城主。小田原の役後、駿河国は家康から中村一氏に替わり、一氏は興国寺城に重次を置いた。1590年(天正18)から1601年(慶長6)まで在城。関ヶ原の戦いで主家中村氏は家康側につき、その功績により伯耆国に移ると、重次もそれに従った。ここの墓は、興国寺城に在城中に建立されたものである。1603年(慶長8)4月18日没。法名「妙冷院殿宗感日徳居士」。近江浅井氏の家臣に「河毛氏」がいることや、「河毛」の地名が近江にあることから元は浅井氏の旧臣と思われる。

墓所

1.静岡県沼津市根古屋の本法寺