大久保忠佐

忠員の次男。1537年(天文6)生まれ。兄忠世とともに武勇に優れ、姉川、三方原、長篠、小牧・長久手などを歴戦する。長篠の戦いの際には、その戦いぶりを織田信長より賞され、髯をはやしていたので「長篠の髯」と渾名された。関ヶ原の後、沼津にて2万石を与えられた。家康幼少の頃より、数々の戦に出陣し、自ら敵を討ち取ることが多かったが、武具を傷つけられるくらいにて、その身に傷がつかなかったという。1613年(慶長18)9月27日没。77才。法名「源僖院殿道喜日締大居士」。

墓所

1.静岡県沼津市東間門の妙伝寺

2.静岡県沼津市八幡町の市立第一小学校